♦絹。襖/世苓磧λ世一系の男系天皇(直系長子相続)とキリスト教徒ユダヤ人(女系相続)との死闘。1467年 =2 〜No.18
旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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二つのブログを、五つに分けて建設する。
プロフィールに、五つのブログを立ち上げる。 ↗
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日本の天皇中心神話は、ギリシャ神話からメソポタミア神話や東南アジア諸神話そして揚子江流域神話など数多くの神話との共通点を持つ、雑種性の強い民族中心神話である。
閉鎖的日本神話からは、朝鮮(韓国)神話や黄河流域神話は排除されている。
高天原が朝鮮半島にあるはずがなく、あるという者は何も理解できない無知な馬鹿である。
天皇の重要な祭祀は、無私無欲で、国民が飢えることなく安寧に過ごせるように、祖先神と自然神に五穀豊穣の祈りを捧げる事である。
つまり、天皇の御稜威・大御心とは国を護り民族を守る事につきる。
農耕漁労の日本民族は、祭祀王の天皇を中心とした相互補完共生による隣保扶助の運命共同体を形成していただけに、世界中の農耕民族とは違って限られた農耕地をめぐる殺し合いは少なかった。
天皇神話による神道は、如何なる「血」も穢れとして忌み嫌った。
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第14代仲哀天皇(192〜200年。日本武尊の第二王子)皇后・神功皇后の、父は第9代開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高?媛(かずらきのたかぬかひめ)である。ただし、母方の祖先は朝鮮からの帰化人とされている。
夫の仲哀天皇と共に、大和朝廷に刃向かう北九州の豪族を討伐し、反大和勢力の後ろ盾となっている朝鮮諸王朝を懲らしめるべく軍隊を集結させた。
仲哀天皇の急死後、住吉大神の神託により、妊娠(後の応神天皇)したまま海を渡って朝鮮半島に出兵した。
新羅は、倭国軍と戦わずして降服し、「倭国の犬」となり朝貢する事を誓った。
高句麗と百済も、倭国軍に敗れ、「倭国の犬」を誓って朝貢を約した。
世に伝わる、三韓征伐である。
神功皇后は、朝鮮王族の血筋ゆえに、朝鮮を征服し統治する権利がある。
朝鮮征討を成し遂げて帰国して、第4皇子応神天皇(270〜310)を生んだ。
大和で。香坂皇子や忍熊皇子が、神功皇后とその日嗣の御子(応神天皇)に対して反乱を起こした。
畿内の豪族達も、朝鮮の血を引く神功皇后に不満を持ち、大王家・皇室の血筋から朝鮮の血を排除する事を大義名分として反乱に参加した。
神功皇后は、武内宿禰や武振熊命の助けを借りて反乱を平定した。
敗れた豪族達は、神功皇后の呪術に恐れおののき、神功皇后を「祟る神・鬼」として敬い従った。
『日本書紀』では、201年から269年まで、摂政として政事を執り行なったとされている。
神功皇后は恐ろしい「祟る神・鬼」とされて、武内宿禰と共に住吉大社三大神の1柱(祭神)として、さらに応神天皇と供に宇佐八幡三神の1柱として、人々の信仰を集めている。
日本の信仰の一つに、祟りを起こして自分や家族や社会に災いをもたらす「怨霊・鬼」を信仰するという形態がある。
優れた天皇や皇族は、死後、霊力の強い世にも恐ろしい「祟り神・鬼」に変身すると信じられていた。
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第15代応神天皇14年(435年頃) 西域の弓月君の子孫とされた秦氏一族は、最先端技術を持った職人集団として日本に渡来し帰化した。
秦氏は、東方キリスト教一派であるネストリウス派(景教)の信者とされている。
中国では、景教を大秦教といい、キリスト教会を大秦寺と呼んでいた。
山城国(現在の京都)を本拠地として定着し、広隆寺を氏寺とし、伏見稲荷大社や松尾大社に氏神を祀った。そして。秦の始皇帝を大酒神社に、ダビデ王を大避神社に祀ったといわれた。
秦河勝は、第33代推古天皇(女帝)の御代に聖徳太子(第31代用明天皇の皇子)に仕えた。
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712年 第43代元明天皇(女帝) 『古事記』は、キリスト教の「父と子と精霊」という三位一体説と同じ、アメノミナカヌシとタカミムスビとカミムスビという原初三神あるいは造化三神の三柱の神、アマテラス(天皇家の祖先神)とツクヨミとスサノオの三貴子の神話を書き記した。
アマテラスは太陽である昼を、ツクヨミは月である夜を、スサノオは荒ぶる神として混沌を、それぞれ支配した。
720年 第44代元正天皇(女帝) 『日本書紀』は、ペルシャ人の吐火羅と舎衛が渡来して「善(光)と悪(闇)の戦い」という二元論を教義とするゾロアスター教(拝火教)を伝えたと記述している。
そして、第37代斉明天皇(女帝)は彼等を歓迎して盂蘭盆会を行ったと記している。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、これらを基にした天孫降臨神話で日本の正統な統治者とされている。
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736年 『続日本紀』「天平8年1月、聖武天皇は中臣朝名代に従五位下を授け、遣唐使の随員達の労をねぎらわれ、景人皇甫、波斯人李密医らに位を授け」
第45代聖武天皇の后光明皇后(藤原不比等の娘)は、景教からイエス・キリストの慈愛を教わり感動し、進んで病に苦しむ老人の腫れ物に口を付けて膿みを吸い出し、自らの手を汚し汗をかいて慈善活動を行った。
大家族主義における皇道の根本は、自己犠牲的な利他と他愛で、人と人の絆を大事にするやむにやまれない「慈愛の心」である。
この時までの古代神道や古代仏教において、他人を平等・公平に扱う慈善活動は存在しなかった。
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現代の天皇制度廃止論者は、民族の「絆」を持たないだけに、神の裔・天皇の神話と歴史と慈愛の心を完全否定する。
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ヨーロッパから日本に渡る航路は二つあった。一つは、ポルトガル王国・イエズス会が支配する、喜望峰・インド・日本にいたる東回りの航路である。もう一つは、スペイン王国・フランシスコ会が支配する、メキシコ経由の西回りの航路であった。
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日本史の偉人で人気投票をすると、ザビエルは必ずトップ10に入り、歴代天皇よりも愛され、聖徳太子(第31代用明天皇の皇子)と人気を二分していた。
一部の国際派日本人は、天皇を中心とした民族主義を否定する立場から、ザビエルを日本の偉人として上位にあげている。
少数ながら、古代史専門家や知識人の内で、聖徳太子の存在を否定する者や聖徳太子の偉業を否定する者がいる。
考古学者の多くは、神話にもとずく「神の裔」を否定し、天皇陵の学術的発掘と埋葬品の調査を希望している。彼等にとって、天皇の墓も藤原氏や徳川氏らの権力者の墓も同じ墓にすぎず、学術的興味のみを優先していた。
死者の墓を暴き、埋葬物を手にするのは、儒教価値観を信奉する東アジア世界では普通の事であった。
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キリスト教会は、ヨーロッパ世界では常識となっている「領主の信仰が、領民の信仰」の原則で、日本をキリスト教化しようとしていた。
表向きには、地元で影響力を有する異教集団との衝突を回避する為に、庶民に対して排他的な布教活動を控え、けっして信仰を強要しなかった。
裏では、領主に海外貿易で武器弾薬などの購入に便宜を図る見返りに布教活動の許可と保護を取り付け、主君の地位を脅かす可能性のある有力な武将を改宗させて着実に地盤を築いて行った。
各地の領主は、領地拡大の為に、火縄銃などの強力な武器を大量に購入すべく宣教師を受け入れ、布教に協力した。
論理的誤謬をiaを何
キリシタンは、異教徒との信仰を賭けた最終戦争に勝利する為に、戦力にならないひ弱な庶民よりも戦闘能力のあるサムライを味方に引き入れようとしていた。
教勢の拡大を願う戦闘的宣教師や修道士らは、日本に平和と発展の為に渡来し、布教活動を行ったわけではない。
莫大な利益を求めるポルトガル人やスペイン人の商人らも、大金持ちになる為に命の危険を冒して荒波を乗り越えてきた以上は、リスクが低く利益の薄い商品の商談よりもリスクは高いが利益の多い商品の取引を希望した。
当時の国際交易は、海上交通が海賊や敵国海軍や異教徒の水軍によって攻撃されるかわからない無秩序状態にあった為に、弱肉強食という純粋な市場原理で支配されていた。
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1467(〜77)年 応仁の乱。サムライは、幕府や守護大名の跡目相続紛争などで殺し合いを始めた。
百姓は、幕府や守護大名の支配が弱体化し事につけ込み。権利を拡大するべく一揆を行った。
下剋上の世になるや、天皇はサムライや百姓から見捨てられ、皇室は滅亡の危機に追い詰められた。
大和岩雄「天皇と鬼は、一見、対立的関係にあるようにみえるが、ひとつの実態の表と裏の関係にある」
天皇は、皇室を守る為に、非農耕民である京の町衆(商人や職人)や賤民(行商人・芸能民・勧進聖・修験者・乞食・浮浪者・病気持ち・非人・エタ・凶状持ち=後の非犯罪者である任侠派ヤクザ・町中の社会的弱者)や一部の山と海の民を供物人として特権を与えた。
百姓は、領主の良民として保護を受ける見返りに、主従関係を結び、年貢を払い、合戦には雑兵・足軽となって戦った。
封建領主は、領地内で税を納める百姓の全てに責任を持ち、戦災や天災などの全ての災害から保護する義務があった。
町衆は、天皇・皇室を守る義務を引き受けるかわりに領主との主従関係から解放され、要求された時のみ運上金・冥加金・矢銭を納めるが諸税は免除され、町中以外の夫役や兵役などの諸役は免除され、商いや通行や転居の自由が認められていた。
町中と街道・港湾の全責任は、納税が免除されていた町衆に負わされていた。
町衆は、見栄っ張りとして独立心と自負心が強く、領主の如何なる干渉も嫌い、それ以上に依存して保護を受ける事を嫌った。
町衆の身分は、サムライや百姓に比べて低かったが、土地や住居に固執しないだけに、天皇・皇室との「絆」を強くする事で自由を手に入れていた。
百姓は、サムライに次いで高い身分にあったが、田畑に根ざして生きていた為に納税と諸役の義務があった。
町衆は、天皇の危機か皇室の存亡につながらない限り、自由民として領主や百姓を見捨てて戦場から逃げた。
百姓は、領主の命令で戦場に出て戦い、薄情に逃げる町衆の家屋敷を襲撃して略奪の限りを尽くし、捕まえた町衆の女を遊女などに売り飛ばした。
こうした乱暴な百姓が後の武士道を信奉するサムライとなり、筋目がハッキリした由緒正しい武士は滅亡した。
町衆は、殺し合いの合戦を退屈凌ぎの娯楽として、仲間や家族連れで酒や弁当を持って安全な場所から観戦していた。
将軍や守護大名は、天皇の権威を支配の道具として利用していた。
百姓は、遠い都の天皇ではなく村内の寺院に集まり僧侶の話を聞き、地侍と協力して一揆を起こし、封建領主である守護大名に楯突いていた。
下剋上の時代、身分も、地位も、階級も、社会的制約は消滅していた。
地位高き公家は、戦乱で荒れ果てた京を見捨て地方の有力大名に保護を求めて食客するか、娘を嫁がせて姻戚関係となって細々と食いつないだ。
身分や地位の低い町衆、そして良民(百姓)に嫌われた賤民や山の民や海の民は、神の裔・天皇を敬愛し、祭祀王・天皇に畏怖の念を抱き、天孫降臨神話に基ずく万世一系の男系天皇制度の守護者となった。
当時の部落民と現代の部落民は、「尊皇の志」の有無で、全く違う部落民である。
幕末に。天皇・皇室を真に守ったのは、サムライではなく、任侠派ヤクザ、修験者、山の民、エタなどの身分卑しき下層民であった。
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1543年 ポルトガル人商人が乗船していた中国人倭寇の帆船が、難破して種子島に漂着した。
当時の倭寇は、日本人ではなく中国人や朝鮮人が大半を占めていた。
東アジア史では、手下に日本人が一人でもいれば、それは日本の倭寇と数えられている。歴史的事実よりも、主体性に重きが置かれている。東アジア史の基準は、世界史の基準とは異質の基準で成り立っている。
1549年8月15日 ザビエルは、鹿児島に上陸し、邪教国日本を聖母マリアに捧げ、異教徒日本人を改宗させ、日本をキリスト教国家に生まれ変わらせる事を絶対神に誓った。
改宗ユダヤ人宣教師や修道士達は、日本から民族的なものを一掃してキリスト教国に生まれ変わらせ、ポルトガル国王とローマ教皇の領土とし、日本人を絶対神の僕・奴隷にする為に続々と渡来した。
日本人を改宗する為に、各地に教会堂(南蛮寺)や神学校(セミナリオ)を造り、たちまちのうち十数万人を改宗させた。天皇の膝元である畿内でも、数万人を信者とした。
ザビエル「日本の信者達には、一つの悲しみがあります。私達が地獄に堕ちた人は救いようがないというと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻や子、そして、他の人達への愛情の為に、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者の為に涙を流し、布施とか祈祷とかで救う事が出来ないのかと私に尋ねます。私は彼らを助ける方法は何もないのだと答えます」
『新約聖書』「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなた達は大変な思い違いをしている」(『マルコによる福音書』 第12章27節)
キリスト教会は、非白人としては珍しい知的好奇心の旺盛な日本人は、その知識欲から意のままに改宗できると高を括った。彼等が好んで使う「善人」とは、そう言う類の人間の事である。
宣教師達は、国際的な宗教教育を重視し、キリスト教関係の文献を日本語に翻訳し、各地に神学校(セミナリオ)を開校して、優秀な日本人の子供を神父や宗教指導者に養成した。
日本人は、生き方の美醜の判断を自分の内面の良心・道徳に委ね、多種多様な価値観のもとで自分の行動を自己規制し、時代を超えた物事の道理で正邪をわきまえる、他人や世間の目を気にする神道的多元論を持っていた。
宣教師は、天皇神話に根ざした日本民族の伝統的「美徳」を根底から崩壊させ、主要な天皇霊を祭神として祀る全ての神社の破壊を神聖な使命とした。
絶対神のみを信仰する者にとって、祖先を神として祀り信仰する事は、唯一の神を冒涜する行為で許せなかった。
純真な白人修道士(多くが改宗ユダヤ人)に率いられた権威に弱い生真面目な日本人キリスト教徒の一団は、異教徒の偶像崇拝を根絶やしにし、野蛮な一夫多妻制度としての側室制度を廃絶する為に「剣と聖書」を持って、キリスト教会に寄進された教区内にある由緒ある神社仏閣を襲撃した。
日常生活の中で2000年近く伝承してきた、神道(天皇神話)の祭事や因襲、仏教の法事や習慣を、悪魔的儀式や呪われた秘技として破壊した。
ハッキリした信仰を持つ日本人キリスト教徒は、排他的にして戦闘的な宣教師の指導のもとで、多数の神社仏閣を破壊し、火を放って灰とした。
僧侶や尼僧、神主や巫女らは、改宗を拒めば「神の御名」によって殺すか追放した。
ご先祖様から大事に守られてきた各家庭の仏壇や神棚を叩き壊し、大切にされてきた先祖代々の位牌や天皇が認めた神社の護符を足蹴にして火中に投げ込み灰にし、先祖代々の墓を暴き、異教徒である父母兄弟の遺体を辱める事で、普遍宗教への信仰の証とした。
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1000年以上の永きに渡って、民族中心の神の使いとして敬われて来た各神社の神鹿や神鳥や神猿を、絶対神が「人の食糧」とすべく創造してくれた食獣とし、遊び半分で打ち殺して、酒盛りをしながら食べた。
彼等は、全ての動植物は絶対神が創造して白人のみに与えたものと信仰していた。
人間には、絶対神の許可で、全てを支配する権限が有るとされていた。
その人間とは、白人種であり、日本人などの有色人種ではない。
自然と祖先と職能を神として崇拝する民族宗教は、邪教として徹底的に破壊されたのである。
「弱者の論理」の神社側は、2000年の永きに渡り地元に根差して来たが、神の血を引く氏子や信仰ではなく崇敬する人びとを失って静かに消滅した。
「強者の論理」の寺院側は、暴力を持って抵抗する為に、門徒や宗徒を集めて武器を取って宗教戦争を引き起こした。
利益・金儲けに目が眩んだ領主や戦国大名が洗礼を受けて改宗した為に敗北し、生まれ育った地元から追放された。
信仰を持つ者は、家族や国家に関係なく、無国籍者として、国境や慣習に囚われる事なく、自分が生活する土地・自然を自分の好きな様に自由に改造した。
1561年 宇佐八幡宮。
1581年 豊前彦山の三千坊。
1580年頃 春日大社の神鹿を食用する為に殺害した。
その他。
『大村郷村記』などの古記録には、こうした日本人キリスト教徒の神を恐れない暴挙の数々が記載されている。
キリスト教徒は、「絶対神の名」において日本の宗教風土を破壊しようとしていた。
キリスト教会は、神代からの民族宗教を日本から抹殺する事を、絶対神への信仰の証しとしていた。そして、民の安寧をひたすら祈る祭祀王の天皇を、日本から永久追放しようとした。
『新約聖書・マタイによる福音書 第4章10節』「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」
1557年 ポルトガルは、香料やお茶の貿易拠点を確保する為に、マカオを占領して居住権を得た。
キリスト教会は、マカオに中国布教の拠点を置き、教会領として世俗の介入を排除した。
宣教師や修道士らは、中国をキリスト教国にする為に中国人への改宗に力を入れ、改宗者からの寄進で教会領を徐々に広めた。
彼等にとって大事にすべきは、同じ絶対神を信仰する信者であって、異教徒まで含めた生きた人間ではなかった。
よって、「聖なる使命」により、異教徒を一人残らず「聖なる炎」で生きたまま焼き殺そうとした。
ポルトガルは、マカオを植民地にする為に、1887年に割譲させた。1999年に、マカオは中国に返還された。
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ドミニコ派修道士ラサ・カサスは、1552年に、スペイン人の残虐行為を告発する「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を、スペイン国王に提出した。
スペイン王国は、中南米における布教活動と植民地支配について大激論を交わしていた。
植民地経略において、地元民に洗礼を施した後に奴隷として使役するか、武力で異教徒を屈服させてから改宗させて奴隷にするか、議論を重ねた。
宗教的白人至上主義で、差別的結論が出された。
白人の優秀民族は、劣等民族の非白人を支配する権利を絶対神から与えられている。
ザビエルは、スペイン国王とイエズス会に対して、日本に軍事占領を試みるべきではないとの書簡を送った。
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ヨーロッパは、キリスト教の宗教裁判による異端者審問と魔女狩りの横行で、殺戮が繰り返されていた。
多くの命が絶対神の信仰によって奪われ、大量の命が絶対神の愛を証明する為に流された。
中世キリスト教会の信仰による暗黒が、ヨーロッパ大陸から地球上に広がって行った。
1562〜89年 ユグノー戦争である。フランスで、カトリック派とプロテスタン系カルヴァン派による対立が戦争に発展した。
フランスの農民は、飢餓の中で貧困に耐えかね、各地で叛乱を起こしていた。王侯貴族と教皇や枢機卿ら聖職者は、ゴージャスな生活を送る為に、公金を湯水の様に浪費していた。
ジョルジュ・リヴェ「戦闘は多くの死者を出すのが常であったが、それに加えてさまざまな虐殺行為が見られた」(『宗教戦争』)
1572年 パリのサン=パルテルミで、4,000人以上が虐殺された。教皇グレゴリウス13世は、大虐殺を祝福して記念メダルを作り、9月11日を「ユグノー大虐殺の記念日」として祝典を開催した。
1589年 アンリ4世は、宗教戦争を終焉させる為に精力的に活動したが、農民の叛乱鎮圧には容赦せず皆殺しを命じた。国王の軍隊(大半が契約兵士・他国の傭兵)は、抵抗する領民すべてを、女子供に関係なく虐殺した。
王侯貴族などの上流階級にとって、国民という下層階級は家畜と同じで、暴力を持って税金を取り立てる人民に過ぎない。国民の生殺与奪権は、キリスト教会から「絶対神の名」によって与えられていた。
そこに存在するのは、神聖な「弱肉強食の論理」である。
キリスト教会は、絶対神に愛されているのは文化的な王侯貴族や領主であって、教養なき貧しい農民や町人ではないとしていた。農民や町人が、絶対神の愛に包まれ恵みをえて天国に行くには、国王や両社や教会に税を支払う義務があると説いていた。
ジョルジュ・リヴェ「1593年6月24日、貴族層は攻撃に出、2,000人をこえる農民を殺戮した」
ヨーロッパ世界のキリスト教徒同士の悲惨な虐殺とおぞましい拷問は続き、信仰による殺し合いは地球上に蔓延して収束の途を見失っていた。
普遍宗教の布教が進に連れ、数多くの民族宗教が炎と血によって地上から抹殺された。
それを、歴史は「必要悪」と容認している。
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1579年 イエズス会日本巡察師ウァリニアーノ神父は、島原の口之津で日本にいる主要な宣教師を集めて、絶対神の概念で如何に日本をキリスト教化すべきかを話し合った。
まず、保守的な異教徒の封建領主からの弾圧を避ける為に、信仰を損なわない範囲で日本の礼法を習熟し、日本人の生活習慣を非文化的であると否定しない事を申し合わせた。
将来的に、日本から異教を完全排除する強固な信仰を持った人材を育成する教育機関を、ミヤコ地区(京都)、豊後地区、シモ地区(西九州)に設置する事を決めた。
特に、天皇がいるミヤコ地区を布教活動の中心地とする為に最重要拠点と位置づけた。
「領主の宗教が領民の宗教」の原則から、宗教的支柱にある天皇の改宗をめざした。
各地のセミナリヨやコレジヨで、日本人のうちで優秀な善人を神の戦士・宣教師にする為に、ヨーロッパ的価値観での調和の取れた文化的人間に生まれ変わらせる為の洗脳的宗教教育を施した。
日本人知識層の警戒心を交わす為に、下級修道士や一般的な伝道師を養成する宗教教育は公開とし、聖書はもちろん日本や中国の書籍も教えた。
「日本人の持たないヨーロッパ的、キリスト教的なもの与え人間として完成させる事を目的とする」
信仰の深みを求める正しき人には、唯一の価値観を植え付け連帯感を強める目的で、規律ある集団生活を維持する為に下界との接触を一切遮断した寄宿舎で寝起きさせた。
言葉は神から発せられた神聖なもので、文化的な人間形成には欠かせないとし、教会はもとより寄宿舎内での会話も情緒的で曖昧で野卑な日本語を一切禁止して、ラテン語と論理的合理的な知性溢れるスペイン語もしくはポルトガル語に限定した。
教育を受けた日本人宣教師は、捕縛され棄教を強要する拷問にも耐え、信仰を守って殉教した。
逃げ延びた者は、国外に逃亡するか、国内に潜伏して隠れキリシタンを支えた。
イエズス会日本年報(1594年3月)「日本文学に寄せていた様な熱心さをラテン語にも見せ、気持ちよく勉強している」
何が原因となったリンウッドワシントン州5月8日火
1580年 キリシタン大名大村純忠は、ポルトガルとの交易を独占する為に、良好港を持つ長崎をイエズス会に寄附した。それは、教会の領地としてではなく収益を得る目的の荘園の様な知行地で会った。長崎の開港である。
ウァリニアーノ神父「大勢は純忠の申し入れに応ずべきだという意見であった。それは大村純忠の為にも、また諸国で迫害を受けたキリシタンの避難所とする為にも必要と思われたから」
貧しい漁村であった長崎は、外国船が頻繁に入港して、外国人商人や船員が多く住むようになって国際港として繁栄した。
イエズス会は布教活動の拠点と定めて、日本管区長館と「御上天のサンタ・マリア教会」を建設し、セミナリオやコレジヨを設立して日本人宣教師の育成に力を入れた。
長崎は、欧州風の軍港要塞都市に変容し、各地のキリシタン大名に異教徒を殲滅する為に武器を供給していた。
キリシタン大名は、軍事支援の見返りとして、領民を半強制的にキリスト教に改宗した。
キリスト教会は、日本人を全ての貧困から救い、魂を救済する為に、隣人愛という愛の精神を日本に広める事を神聖な使命とした。宣教師は、絶対神の正義の為に、各地で異教徒と戦っていた。
日本の聖地として成長し始めた長崎に憧れた日本人キリスタンは、全国から絶対神の愛による救済を求めて移り住んだ。
一歩、裏通りの貧民街に入り込むと、他国の国際港同様に犯罪が横行し、悪徳商人による奴隷とアヘンの売買が盛んに行われていた。そこには、反キリスト教徒への隣人愛は存在しない。むしろ、地獄に落ち、永遠の劫火に苦悩する事は、絶対神の思し召しと割り切っていた。
中国人からなる倭寇も、長崎や平戸を根城にして海賊行為を繰り返し、海上で殺戮と略奪を行っていた。キリスト教徒の海賊は、絶えず、絶対神に敬虔な祈りを捧げ、異教徒を滅ぼして神の王国を地上に建設する事を誓った。
日本人商人は、大金を稼ぐ為に外国商人以上に犯罪者との不法取引を好んだ。
宗教は、犯罪と貧困の中で信者を増やし、混乱がない所とに混乱の芽を植え付けた。
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集団的「家」の宗教で先祖を祀り供養する村人は、個人的「私」のキリスト教への改宗を拒否した為に殺されるか、教会領となったムラから追放された。だが、戦国時代は生まれ育った村から追放されては生きていけなかった為に、盗賊や夜盗などの犯罪者になり切れない心弱い村人は、改宗して村に戻った。
『新約聖書・マタイによる福音書 第5章17節』「イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』といって、宣べ伝え始められた」
イエズス会は、改宗の決断が付かず浮浪者のように彷徨う異教徒を、「神の王国」を汚す不純物として差別し、改宗ユダヤ人奴隷商人や人買いの中国商人らに売り渡した。
奴隷とされた異教徒日本人は、家畜のように大陸に売られて、二度と生きて故郷に戻る事がなかった。
南蛮貿易として、奴隷売買で大金が稼げる事を知ったキリスト教徒日本人商人は、各地の合戦場から数十万人の異教徒日本人を攫ってきては、奴隷として中国や東南アジアやアフリカなどに売った。ヨーロッパでも、日本は奴隷輸出国として名が知れていた。そして、日本人女性は高値で売買されていた。
キリシタン大名は、火薬の硝石を手に入れる為に、イエズス会宣教師の指示に従って、数十万人の若き乙女や子供を天草などの九州沿岸の白銀海岸(バチカン公文書に明記されている)でキリスト教国船籍奴隷船に押し込んだ。そこには、日本古来の助け合って共に生きるという伝統的集団主義である「家」はないし、慣習としての仲間・身内・家族の「絆」も消滅していた。日本人なら誰でも持っているムラ共同体の「義理人情」は、金儲けと「個」の利益を重視する彼らにとっては無意味な価値観であった。
自己中心的な日本人にとって、自分だけが良ければ後はどうでも良かったのである。国際派の彼等は、「社会の為や人の為」と言った、日本的な御為ごかしを最も嫌い、自己犠牲的「お人好し」を軽蔑した。彼等は、国が消滅し、日本人が死滅しても、目の前に自分の金が山と積まれれば気にはしなかった。
ジョアン3世「ジパングは、火薬一樽と交換に50人の奴隷を差し出します。神の名に於いてに日本を領有すれば、献金額を増やす事ができるでしょう」(ローマ教皇への進言)
徳富蘇峰「キリシタン大名、小名、豪族達が、火薬が欲しいばかりに女達を南蛮船に運び、獣の如く縛って船内に押し込むゆえに、女達が泣き叫び、わめくさま地獄の如し」(『近世日本国民史』)
ラリンケ判事「東洋へ硝石さえ持って行けば、女は幾らでもくれる」
天正少年使節団の報告(1582年)「行く先々で、日本女性が何処まで行ってもたくさん目に付く。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘達が秘所丸出しにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国まで転売されてゆくのを正視できない」
アレサンドロ・バリグナーノ「日本は、すべて裏返しの世界だった。日本人に、我々と似ているところは何一つなかった」
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古代日本では、王族や貴族などが私的に奴隷を所有していたが、646年(第36代孝徳天皇)に発せられた「改新の詔」の第一条で、個人による土地と奴隷の所有を禁止された。「公地公民制」により、全ての日本人は天皇の臣民・公民とされ、大陸的な個人が生殺与奪権を持った人を人と思わない奴隷制度・家奴制度は廃止された。
今を生きるキリスト教徒にとっては、会った事のない遠い先祖や見る事もない遠い子孫も、選んだわけでもない親兄弟や言う事を聞かない不逞な妻子も、そして好きでもない隣人が、異教徒として地獄の業火で永久に苦しもうとも関心がなかった。彼らにとって、集団としての異教徒の「家」や「家族」や「家庭」には興味がなく、大事なのは信仰を持つ「個」の自分一人の「今」だけであった。明日の自分の事や数世代先の子孫の将来を思い煩う神道と違って、50年や100年と言った遙かな将来の事はもちろん明日の事さえも関心がなかった。
彼らが尊重したのは、あくまでも「個」としての絶対神への「今」の信仰と自分一人の「今」の幸福だけであって、他人の事や家族の事や「明日」の事は一切興味がなかった。
『新約聖書・マタイによる福音書 第6章34節』「明日の事まで思い悩むな。明日の事は明日みずからが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 大陸の常識は、自分の物を他人と如何に公平に分け合うかではなく、他人から如何にして奪って自分の物にするかであった。そして、他人に怨まれない様にする為に慈善活動をし、義援金を如何に少なく払って感謝されるかに腐心した。
彼等の自慢するボランティアとは、特権を有する極一部の上流階級が、搾取され差別されるだけの大多数の下層階級との雲泥の格差を維持するものにすぎなかった。
ゆえに、上流階級はもちろん中流階級でも普通の日本人以上に裕福であるが、下層階級は極て普通の日本人以上に貧困であった。
日本には、大陸のような越える事ができない差別はなかったし、雲泥の格差もなかった。
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ザビエルの失敗とは、インカ皇帝やその身内を改宗したように、天皇あるいは皇族や有力な公家を改宗できなかった事である。
天皇が日本の最高神職なら、皇室・皇族関係の最高神官は天皇の娘である未婚の内親王のみが就ける伊勢神宮の斉王である。
日本の宗教界を改宗日本人から学んだ宣教師らは、日本民族の精神的支柱、日本人が日本人らしく生きる為の「まごころ」や「良心」や「道徳」の源泉であるところの、現人神であり最高位の祭祀王・天皇とその血筋の祭主・斉王を改宗する事を最大の眼目とした。
異教徒日本民族の抹殺する鍵は、統率がとれた侍の武力ではなく、国際的な商才ある商人の経済力でもなく、神の裔である宗教的万世一系の男系天皇(直系長子相続)であった。
ゆえに、天皇に謁見して皇族を改宗させてようとしたが、天皇を守ろうとした民族主義的宗教勢力と伝統を重んずる頑迷な公家らによって拒否された。
ザビエルは、小国日本のキリスト教化を諦めて、大国明帝国のキリスト教化に燃えて中国に渡ったが、志半ばで病死した。
教皇グレゴリウス15世は、1622年に異境の地で死亡したザビエルを聖人に列した。
「世界の伝道事業の保護者」(1904年)
イエズス会は、邪教国日本を改宗するには疲弊させ絶望の淵に追い遣る事が一番であるとして、大国明帝国の軍事力を利用する計画を立てた。
日本イエズス会の準管区長コヨリエは、豊臣秀吉の野心を駆り立てて明征服(唐入り)を焚き付け、大量の武器弾薬を提供する事を約束した。だが、異教徒との約束を守る気はなかった為に、朝鮮半島に渡った日本軍は彼等の支援を受けられず苦戦し、明の大軍の反撃と朝鮮人の抵抗にあって敗走した。
ポルトガルやスペインは、植民地拡大と財宝の独占と奴隷の確保の為に、イエズス会やフランシスコ会などの布教活動を支援した。
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万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)は、宗教的な悲惨な殺し合いを避け、個人的欲得による無益な血を流さない為に、ムラ的社会で自然発生的に誕生したものである。
1000年以上の時を経て、幾世代の先祖によって、神の裔とする天皇中心の民族神話が語り継がれてきた。
1221年 第84代順徳天皇『禁秘抄』「およそ禁中の作法は、神事を先とし、他事を後にす」
天皇の全てに優先する最大の責務は、皇祖皇宗に対して「国平らかに、民安かれ」と祈る皇室祭祀であった。皇室に伝わる一子相伝の秘儀である「祈り」が、国事行為である政治よりも優先されるべき行為であった。
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藤原氏は、朝廷を取り仕切って摂関政治を行っていた。
だが、藤原氏は天皇の臣下として、「神の裔」である天皇からその地位を簒奪しようとはしなかった。
藤原道長「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなきと思へば」
天皇の臣民は、天意に従って皇位の簒奪を正当化する、儒教の「放伐」と「禅譲」を恐れた。
日本は、天皇位を守る為に「人徳の道」として儒学を学んだが、天による「王道の徳」のみを盲信する聖人君主の儒教を排除した。
中国と朝鮮の儒教を正統派儒教とするなら、日本の儒教は異端派儒学である。故に、中国と朝鮮の儒教は日本を滅ぼして王道を正そうとしてきた。その堅固な意志は、儒教の普及という形で現代でも生き続いている。
日本の歴史において、臣下として天皇の地位を簒奪しようとした権力者は三人いた。蘇我入鹿、弓削道鏡、足利義満である。昭和に入ると、天皇や宮家を勝手に名乗り、金儲けするいかがわしい宗教家や知識人が急増した。
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天皇家・皇室は、政治権力も、宗教権威も、金銀財宝などの巨額の資産も持ってはいなかった。
万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、屏は崩れ、草ぼうぼうに荒れ果てた、無防備な御所に住み、豪商や豪農よりも貧しい生活をしていた。世俗的な快楽に溺れる事なく、贅沢三昧な生活をせず、ひっそりと清貧の生活を送っていた。その詐らざる誠実な生活態度で、民衆の敬意を受け崇拝されていた。
「神の裔」として、政治的権威や私欲的資産よりも、天皇神話に基づく農業祭祀を重要視した。神話の時代から、農業と皇室は密接な関係を持っていた。その意味で、天皇・皇室の守護者は農民・百姓であった。
万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、キリスト教のローマ教皇とも、イスラム教のカリフとも異なっていた。
皇族を守る警護の武士は極少数いたが、公家や武士に対抗するだけの武力も持ってはいなかった。
日本を異国の侵略から守ったのは、死を恐れない強力な戦闘能力を持ったサムライ集団ではなく、あやふやでつかみ所のない女性的な万世一系の男系天皇(直系長子相続)と皇室であった。
ゆえに、民族主義者日本人は、臣民として、自己犠牲的に天皇と皇室を守ろうとしていた。その象徴が、勤王の志士が眠る靖国神社である。
国内外の反天皇反日派は、閉鎖的な日本を国際的に改造する為に、民族統合の核である天皇制度を破壊するべく全力を挙げてきた。それが、靖国神社問題の本質である。
日本が、自主独立国で有り得たのは、万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)があったからである。
日本が他国の軍隊に侵略を受けず、日本が他国の植民地にならなかったのは、万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)があったからである。
日本が独立国として永遠に存続できるのかは、現在の皇室が平穏無事に存続できるかである。
だが、正しい形での「皇室典範」の改正が行われなかったら、確実に皇位継承者がいなくなり、皇統は断絶し、皇室は消滅する。
現在の政府も、政治家も、緊急に「皇室典範改正」の意志を持っていない。
現皇室の血筋は、日本国内の無関心と一部の日本人の敵意で断絶させられようとしている。
一部のマスコミは、金儲けの為に、皇族に対して有る事無い事のバッシングを繰り返した。
読者は、皇室への尊崇の念がないだけに、スキャンダラスな記事を興味本位に読んで嘲笑っている。
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日本人は、神に選ばれた特別な民族ではない。
決して、ユダヤ民族の様な選民主義はない。
絶対神のような神によって、数多くの民族の中から見つけ出された特別な民族ではない。
日本人は、祖先を神として祀った民族である。神と祀られた祖先は、特別な存在でも、優れた才能があるわけではない。ただ、祖先という理由だけで神として祀られた、平々凡々とした極普通の人間である。
男も女も関係なく、血と命がつながる祖先を全て平等に神として祀った。
心を唯一の「絆」として、祖先を神として祀っている。
普通の祖先を神として祀るのは、日本民族だけである。
儒教の祖先崇拝は、男系のみを人として崇拝している。
中国や朝鮮の儒教的祖先崇拝は、日本の神道的祖先神祭祀とは異質である。
祖先神祭祀の象徴が、皇室祭祀である。
天皇家・皇室は、祖先神祭祀の代表である。
神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)が消滅した時、日本から祖先神祭祀も消滅する。
この事実をしる反宗教無神論者は、天皇家・皇室を消滅させようとしている。
女系論者も、この事実を理解した上で、日本神話で正統化されている祖先神祭祀を改変いようとしている。
日本民族日本人は、神とされた祖先の血と命と心を絆として受け継ぐ子孫である。
ゆえに、日本人は日本人である
決して、日本人は、朝鮮人でもなければ、中国人でもない。
神の裔・天皇を否定する者は、サムライではない。
祖先を神としない者は、日本人ではない。
天皇の祖先を日本人ではないと主張する者は、日本民族ではない。
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